第06話 三途の川


 一時退院は家族との最後の別れであると知っていたが。つかの間

の我が家での一晩はまだ生きられると思う瞬間でしかなかった。

 

 再び住みなれた病室に戻りいつもの天井を眺めていると体調が

急変した。

 ナースコールのボタンを押すことができない。声を出して助けを

求めたが息をするのがやっとだ。

  かなりの時間が経過してしまい、担当の看護師が異変に気付き

慌ただしくなって来たようだ。

 ベットが動く。酸素マスクが装着され腕の刺激は注射らしい。

全身麻酔だ。

 

 何も感じない世界に入ったようだ。

  全身麻酔は幾度か経験した。最初は恐ろしかったが次からは

麻酔の経過を観察する余裕が出て来た

 麻酔が効く時は一瞬だが眼球が下に動くのか視界のズレが見られ

て、その後はなにも感じない。

 麻酔時間は微妙に調整されているようで、名前を呼ばれ

  「どこか痛いところがありますか。」

に応答するとすっきりと麻酔は切れて、痛みは何も感じないで

手術が終わる。

 そして「全身麻酔の感覚と死んでゆく時は同じだから恐ろしくも

痛くもないんです。」と毎回、聞かされた。

 

 今度の麻酔は今までと違う。

全身麻酔なのに意識は戻っている。麻酔が切れる直前ではないよ

うだ。

手足を動かそうとしたが感覚がない。
 処置したはずの部分に気を集中したが何にも感じない。

これで長年苦しんだ病は縁が切れたのだろうか、と嬉しくなった。

 急患なのかドクターヘリの音が聞こえた。
また救急車のサイレンだ。
 辺りを見渡すと手術室から病室に戻ったのではなさそうだ。

天井に蛍光灯があるだけで、ベット周りのカーテンはない。狭い

部屋に移されていた。

 花瓶に数本の花が生けてある。ローソクとお線香だ。
そうか死んだのかと気づいた。

 家内がやって来た。悲しそうな顔だ。涙を流すとあの世に早く

行くので泣かないでくれ。

 

 霊安室から移されたのか、今度は広い場所に移動した。

目を凝らしたが壁が見当たらない。天国か地獄ではないらしい。
 スーと一人がやって来た。
  「こんにちは、よろしくお願いします。」
 チョコ頭を下げた。
  「はい、よろしく。ところであなたは誰です。」

  「山で墜落して、初めてヘリに乗って病院に来ました。ヘリは

   早いですね。でも間に合わなくて気がついたらここです。」

  「ああそれは大変でしたね。」
 また一人来ました。
 キョロキョロ辺りを見渡して何かを探しているようです。
  「どうしました。」と声をかけると。
  「川はないんですか。」
  「川はないですよ。まさか三途の川を探しているのですか。」

  「そうです。三途の川があってそこを渡る時にもし泳げたら

   元に帰れると聞いていたので、頑張ってスポーツジムで泳ぎ

   を習っています。そしてジムの帰りに居眠り事故をして。」

 

  「そうですか、三途の川はまだまだですよ。私は長い間入院

         していて死後を勉強しました。

   もしお役に立つようでしたら、お話しします。」

 

 突然に墜落男が。

    「変ですね。この3人では寂しいですね。」

  「ここは病院で今死んだ人が集まる仮の場所の様です。覚悟

   ができるとすぐに別のところに移動するんでしょう。」

  「女性の姿がないですね。救急車から降ろされる女性の姿を

   見つけたのですが、後から来るのかなあ。」

 腕をぐるぐる回したり、軽い運動で泳ぎの準備をしている水泳

男が。

  「まだかな。今なら泳いで帰れるのになあ。」

  「すぐには三途の川に行けませんよ。その前に山登りがある

   ようです。死出の山路と言って一人で険しい暗い山道を

   7日間で越えた先に三途の川に到着するんです。」

 

 

墜落男が
  「どのくらいの山ですか。私なら行けそうですかね。」

  「昔の話ですが、三途の川まで800里、3200kmある

   ようですが、1日に460kmも歩くことになります。

   それは無理です。1里を単純に4kmとした現代の計算で

   なく当時は1里が約400mだそうです。

   すると320kmになります。先日行われた『トランス

   ジャパンアルプスレース」は日本海側の富山湾から3千m

   級の日本アルプスを越え太平洋側の駿河湾に出る全長415

   kmを6日間余りで完走した記録があります。

 

   事故を起こさなければあなたなら行けますよ。」
  「そうですか。今度は墜落しなように注意していきますよ。」

  「大丈夫ですよ。今度落ちても一度死んでいるので、また死ぬ

   ことはないでしょう。」

 

次の質問は水泳男からだ。

  「三途の川の川幅はどのくらいですか。泳げる距離ならいい

   のですが。」

  「川幅に諸説あるようです。幅は40由旬と言われてます。

   400kmです。これでは泳げないですよ。

   アマゾンの河口は川幅が480kmでそれと同じですね。

   由旬の語源は古代インドから来たので1由旬は7kmとの

   説があります。280kmの川幅としてはありすぎます。

   とても泳げる距離ではないですね。この世で良い行いを

   していれば三途の川の橋で渡れるそうですよ。」

 

  「1由旬は牛が1日で歩む距離と言われて時速は4km

   ほどで40倍なら160kmです。

   これでもかなりの距離になります。」

       「160kmの橋は今の建設技術では不可能です。渡し船は

   あるのですか。」

  「ありますよ。6文出せば乗せてくれます。1文はおよそ

   33円ですから200円弱になります。

   泳げない人は船に乗ることですね。」
  「ちょっとしたクルージングが楽しめそうですね。」

  「しかし渡し賃がないと乗れない仕組みで困りますよ。

   最近は棺に渡し賃を入れる習慣がないですね。」

  「クレジットカードは使えないでしょうね。」

  「もちろんです。渡し賃は安いので現金のみじゃあないんで

   しょうか。」

  「お金があっても罪を犯した人は乗船できないですよ。

   あなたは乗れそうですか。」

  「この間ですが散歩の時に畑で立ち小便をしたのですが、

   あれも罪でしょうね。」

  「微妙ですね。あちらに着いたら閻魔大王が判断しますよ。

 

墜落男が。
  「私は泳げないから船に乗りますよ。」
水泳男は。

  「待ってください。私は山登りは全く苦手で三途の川の

   渡し舟のような乗り物はあるんですか。」 

  「残念ですね。死出の山路の言葉は衰退してその存在は薄れ

   たようです。人間は自動車とか飛行機を作ってきました。

   これらは早く走りたいとか、空を飛べたらという夢から

   生まれたものです。

   死ぬと三途の川を渡るという言い伝えが今でも心に残って

   いてそれがあの世にゆく定めとしてあるのでしょう。

 

   三途の川は世界中にあり、例えば、エジプトとかペルシャ、

   インドなどにも三途の川はあるそうです。

 

   もし多くの人が死出の山路を蘇らせて、大型ドローンで

   越すことを考えたら実現してくると思うのですが。」

 

 

水泳男が墜落男に質問した。

  「山には迂回する道はありますか。それと山には谷があって

   三途の川の水源があるのかと思うんですが。」

  「確かに山には登りが楽な迂回ルートありますね。川だから

   水源はあると思いますよ。上流なら川幅は狭いので泳いで

   渡れるかもしれませんね。」

 

 

  「色々と参考になりました。では私が先に行きます。」
と墜落男は消えた。

 水泳男は死出の山路が険しい山はないと信じ、すぐ近くに

三途の川の流れがあることを願って消えて行った。

 
次に誰か来る気配がする。そろそろ出かけようか。

 

 


⬆︎HOME                  UP 06  ⤴︎

                      NEXT 07 ▶︎

by;colow.81