第22話 桃源郷


 久しぶりに山小屋泊まりの計画を実行することにした。

2時間ほど登ると無人の山小屋だ。

ガッチリした丸太づくりで夏は小屋番がいて食事が提供される。

扉を開けると煙臭さとカビ臭さのミックスした気体が鼻に入った。

冬に溜まった匂いだ。

 奥の棚に数枚の布団が積まれていたが今日は担いで来た寝袋を使うことにした。

 土間に燃えカスがそのままで不心得の登山者がまだいるのらしい。

 部屋の片隅に折りたたみ座卓が4脚あり、その一つに大学ノートが置いてあった。

 薄暗くなった窓際でノートを開くと、ここに来たハイカーや登山者の記録があった。

 気になる部分が目に止まった。

この小屋を出て頂上に向かう山道の途中に(桃源郷)の道標があると

書かれている。

 この山は2度目だがそんな道標があったのだろうか。

 地図で確かめたが頂上までは一本道で脇道らしい所はないようだ。

 明日は2度目の登頂はやめて桃源郷の道を行ってみようと決めた。

もしなかったら引き返せばいいか。

 遠くでシカの声がした。

 

 (桃源卿)は本当にあるのだろうか。

興味が湧いて来た。

 登りが急になり、ゴツゴツした岩の塊が出て来た。

 道標があった。

正面は頂上に行く道を示し、右に入ると桃源郷へと示していた。

 確かに右に入る脇道があった。最近開通した道かもしれない。

 半ば疑って脇道に入った。

クマザサの中をしばらく進むと新しく建てたのか斬新なデザインの

小屋が出て来た。

 変な形の小屋だなあ、と思い小屋を覗かないで通りすぎた。

 でも気になり、引き返し小屋を覗くことにした。

山小屋にしては重たい扉だ。

 扉を開けた。

 オフィースの香りだ。

 「どなたかおりますか。」

と声をかけたが応答がない。

窓際に大型のデスクが置かれ、重厚な椅子がある。

 左右の棚には分厚い本が並べられている。

 どこかで見たようなは部屋だ。

すると。

 「社長、定期報告の時間です。部長さんたちは揃っています。」

 美人の秘書が部屋を去ると、むさ苦しい部長連がペコペトお辞儀

をして部屋にきた。あれ嫌いな部長にそっくりだ。

 「社長、お座りください。」

 私のことらしい。大きめな椅子に腰を下ろした。

気分の良いものだ。

 「今日は特別なことはありません。気になる社員がおりまして。」

もしかして俺のことなのか。

 「ああ彼か。彼は実績を上げているし、ほかに影響を与えてないだ

  ろう。このままにしておきたいが君たちの考えはあるかね。」

みんな黙っていた。

 「他にないようならここでお終いにするが、いいかね。」

社長の真似をしていたが誰も気がつかないようだ。

 

 美人の秘書が戻って来た。

 「社長今日はどちらに参りましょうか。いつもの所でよろしければ

  お供いたします。」

秘書の顔はどこかで見たようだ。

 女優でもないし、そうか雑誌に出ていたかもしれない。

 ドキドキした。

ぴったりと横に付いて歩く秘書の感触と甘い香りを楽しんだ。

 「今日は私が運転します。」

と社用の車に案内された。

 いつものベンツだ。

 音もなくその車が走るはずがいつも乗っている軽自動車のエンジン音と固い座席ではないか。何かが違うぞ。

 ここでふと気がついた。そうか今は(桃源郷)にいるのか。経験していないと描けないのか。

 でもこのままこの美人秘書と一夜を共にしてみよう。

 

 雑誌で見た最高級の山奥の旅館に到着した。全ての部屋は別棟で

プライバシーは完全に守られている。

 腹一杯の夕食の後は、夜がくるのが待ちどうしかった。

 「さきにお風呂に入っていいの。」

 と秘書はその場で浴衣を脱いで部屋の露天風呂に浸かった。

鼻歌が聞こえて来た。

 もう我慢ができないで。

 「俺も入るがいいかな。」

 「うん。いわよ。」

 

 素晴らしい朝だ。昨夜の余韻がまだ続いて頭がボーとしている。

こんな時は散歩すれば治るだろう。

 と外に出た。眩しい朝日に輝く山々がそこにあった。

 冷たい空気を思いっきり呼吸して振り返ると、出発したはずの

山小屋だ。桃源郷は消えたのか。

 

 


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by;colow.81